ウィンザーの詳細について: www.InnisArt.com
国際的な芸術家/作家
ウィンザー・ジョー・イニス WINDSOR JOE INNIS(1937 ~ )
彼は東洋・西洋の様々な国で住みながら画家、彫刻家、作家として活動してきた。彼が滞在していた国は下記の通りである。
日本(東京、京都)韓国(ソウル)イギリス(ロンドン)トルコ(イスタンブール、 シデ)キプロス(キレニア)フランス(パリ、リヨン、オーリアンズ)ドイツ(フランクフルト)スペイン(マドリッド、 パンプローナ)アルゼンチン(ブエノスアイレス)カナダ(トロント、バンクーバー、ブリッティッシュコロンビア州ヴィクトリア)アメリカ(シカゴ、 サンディエゴ、ニューヨーク、ワシントン州シアトル)メキシコ(サン・ミゲル・インスティチュート・アエンデ、ベラクルス州コアテペク)ポルトガル(リスボン)オランダ(アムステルダム)
雑誌「婦人画報」は、芸術に対する考え方の違いについて、故岡本太郎氏と私の双方向の議論が特集されました。 その議論は岡本氏の家で、プラスチックの等身大の彼自身の像の前で行われたと記憶しております。そこで私たちは活発に議論しました。 Windsor 1984.12 婦人画報977号
それぞれの国の違いを認めあい特徴にふれあって、それで一つの世界になっていくんじゃないか。(Windsor) 自分自身が世界だ、自分の存在自体が宇宙全体だ、と思うべき。(岡本) 1984.12 婦人画報977号
私は自分にとって異国である国々に住み、その多様性の中で生活し、描くことを選択しました。 それは非常に魅力的ではありましたが、人間関係を維持するには最良の方法ではありませんでした。 それにも拘わらず、苦労しながらも私との交友関係を保ち続けてくださった日本の方々に心から感謝しております。 そのような支援と励ましがあったからこそ、絶え間なく変わる市場で何が流行しているのかを目の当たりにしながらも、 私独自のやり方を追求し続けることができました。 Windsor 1984.10 婦人画報 975号
<名誉と殊勲>
私が子供だった頃、アメリカには無垢なる美の鼓動がありました。 ところが、ここ数十年の間に消え去ってしまいました。 しかし、東洋に、特に日本には、今もその美的感覚が残っております。 そしてそれは歴史に起因するところが大きいこと、また、自分たちの感覚にしっくりこないものを、 受け入れてこなかったことが理由であると理解しています。
Windsor
ウィンザーは画家として革新的で卓越な画風で、母国のアメリカを始め各地で国際的な名声を博してきた。サンディエゴ州立大学でB.A.学位を取得し、<ウエストコースト> 新聞社で政治部ライター、コラムニスト、編集長として働く。メキシコのサン・ミゲル・インスティチュート・アエンデ でM.F.A.を取得し、芸術学科の生徒を教えた。
ウィンザーは有名な紳士録である'Who's Who in America,'と'Gale's Contemporary Authors'に掲載されている。彼の本は、Publisher’s Weekly、American Library Association’s Booklist, Kirkus Reviewsのような出版業界から高い評価を得て注目を集めた。
ウィンザーが手懸けたニクソン大統領の胸像の彫刻は、ホワイトハウスに収蔵される。
ウィンザーは構想画の歴史的な原則に基盤を置いた現代美術は、東洋と西洋の多様な文化を繋ぐことに寄与すると信じて外国での創作活動に多くの時間を費やした。韓国最後の王妃である李方子妃殿下(日本の皇族:梨本方子妃殿下)も彼の後援者であり短編小説 < The Better Times > を収録した作品集に紹介文を賜る。後に三笠宮崇仁親王殿下から皇居に招待され、お互いの文化の中で橋の役割の重要性について話し合う機会を賜る。
イギリスのクリスティ現代美術館館長が1984年東京展示会を後援し、その展示会のカタログに紹介文を賜る。
特別招請で1988年のソウルオリンピックの際、プレスセンターで展示会を開催した。この展示会は、東亜日報新聞社が後援し、展示会のオープニング・セレモニーでは、アルゼンチン大使、アメリカ文化常務官、ドイツ連邦共和国大使館二等秘書官、フランス大使、メキシコ大使、その他多くの著名人が参加しました。
ポルトガルの都市環境部の長官からリスボンに招請され、そこに滞在しながらInstituto Portugues do Patrimonio Arquitectonicoと文化省大臣の協力で、文化交流について議論を交わす。
トルコとアメリカの文化交流としてラウフ・デンクタシュ大統領(北キプロス・トルコ共和国初代大統領)の後援を受け15世紀から歴史が続くトプカプ宮殿で文化交流展示会を開催する。またその際、大手石油会社MOBILとトルコの複数の大企業に協賛をうける。
オランダの大使館から特別な推薦を賜り文化芸術意見交換会の後援を受ける。
アメリカ屈指の芸術評論家でありニューヨーク州立大学で美術史の教授であるDonald Kuspit博士によってウィンザーの芸術の世界についての評論集'Sentimental Journey'が出版される。
ワシントンD.C.のAmerican Universityの政治学科名誉教授であるJeff Fishel博士によってアメリカ、メキシコ、フランスでウィンザーの半生とその作品を眺望する一代記'Seasons of Regret/Seasons of Redemption'が出版される。
ウィンザーはArt&Antiques, Foujin, Ellle, Marie Claire, Canadian Art, The Artist’s Magazineに毎月コラムを連載しアメリカで全国紙の雑誌や新聞に彼の文章と作品の写真が掲載される。
<ウィンザー>
ウィンザー作品は個人収集家はもちろん名立たる企業にも所蔵されており、彼の生涯は視覚芸術を通して東洋と西洋の芸術の懸け橋となり芸術に国境はないという理想を実現する為に尽力するものである。